ペット保険シェア№1のアニコムさんが、約400人の飼い主さんに「猫と暮らして幸福度が高まったか」という調査を行ったところ、
- とても高まった・・・74.6%
- 高まった・・・25.1%
- 下がった・・・0.3%
- とても下がった・・・0%
という結果に。
これは、猫との暮らしは「癒し」だけじゃなく、毛玉のような尊い生き物とくらすうちに気付いてしまった、意味で深い幸せ。
この記事では、「猫に癒される」以上の、“猫の飼い主だけが感じられる幸せの実感”を、いくつかの視点から語ってみます。

猫の飼い主だけが知っている、ふつうで尊い日常の豊かさ

「猫に必要とされている」それだけでなんだか毎日頑張れる
この子には私が必要だ。
ごはんの用意、トイレの掃除、体調管理。
それは義務でもあるけど、なんかちょっと違う。
猫のお世話をするのは確かに、“義務”であり“責任”です。
でも、猫の場合誰にでも心を許すわけではないから、全てを委ねられていることに、ちゃんと必要とされてるんだなって思うんです。
信頼されて、必要とされてるって、ものすごく人を元気にさせる。
うちのそよちゃんは何もしゃべらないけど、「安心してる」を態度や行動、表情で教えてくれるから、それだけで「頑張るよ!」と思えます。
「今日はひざに乗ってくれた」だけで、その日が特別になります
うちのそよちゃんの場合、私の膝の上に乗ることはかなり珍しいことです。
1年に1回、乗ってくれればいい方。
「おいで」と言ってきてくれる子ではありません。
だからこそ、乗ってくれた日はなんかもう、それだけで“今日”は超ウルトラスーパーラッキーデー。記念日です。
たった数分、ただのんびり一緒に過ごすだけの時間。
それがなぜこんなに幸せなのか。
・・・きっと、
「今日はいいよ、ご褒美ね」
「たまにはお腹のもふもふ感じたいでしょ」
「私の年一のデレ、どうぞ」
そんな風にご褒美をもらえたような、日頃の愛が報われたような感じがするからかも知れません。
「猫が家にいる」、それだけで家に帰る理由がある
大人になると、仕事でミスして落ち込む時もあれば、人間関係がうまくいかず疲れることも・・・。
いや、子どもの時だって、学校でいやなこと、つらいこともきっとありました。
だけど今は、家に帰るとあの丸まった、もふもふの背中があるのです。
しかも、顔をうずめられる。おひさまのにおいに包まれる。
それは決して現実逃避じゃなくて、ぬくもりが私の日常の真ん中にあるということ。
「猫が待ってる家がある」って、案外、人生の根っこになります。
「うちの猫って最高」って思えることが最高
他の猫と比べない、競わない、マウントもとらない。
だって全ての猫がかわいいから。
だけど、私にとっては「うちのそよちゃん最高」なんです。
こんなふうに思える相手がそばにいると、不思議と、自分も「ありのままで最高」と思えます。
だって、私は「最高」のそよちゃんの飼い主ですからね。
当たり前すぎて気付いていない人も多いかも知れませんが、実はすごく健全で、すごく幸せなことなんですよ。
猫の“わかりにくさ”がわかる私は幸せ
性格にもよりますが、猫の愛情表現はちょっとわかりにくいです。
猫と暮らしたことがない人は、「猫は薄情」だなんて言うくらい。
私も最初はそうでした。薄情だなんて思わないけど、
「この子は私のこと好きなのかな?」
「もしかして嫌われてる?」
と、わからなくなる時もありました。
でも、私はその「わかりにくさ」の中にある愛を、年々受け取れるようになってきたんです。
そよちゃんの表情、声のトーン、しっぽの揺れ方、ひげの角度、見つめてくる視線・・・その全部に、「今日も私のこと好きでいてくれてる、本当にありがとう」と思える瞬間がある。
これって、言葉をかわせないからこそ、伝わって来たときの喜びは半端ないし、わかりにくい分、わかった時の幸福感はとんでもなく大きいです。

【まとめ】
猫と暮らす毎日には、派手なドラマも、劇的な変化もありません。
でも、じわっと滲むような“幸せの実感”が、確かにあります。
それは「癒し」以上に深くて、「満たされる」ような感覚。
そよちゃんと出会ってから、私はそんな“日常の贅沢”を味わっています。
そしてこれは、猫と暮らす愛猫家の特権です。
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